旅人に寄り添って45年。蒔き続けた種で逆境をチャンスに
濃密な情報や読者投稿の掲載などでガイドブック業界に新風を吹き込み、「バックパッカー」や「卒業旅行」といったブームの火付け役となった「地球の歩き方」。旅人に寄り添いながら歩みを進めてきた業界の異端児は、コロナ禍という未曾有の危機も確たる信念とともに切り抜け、さらなるヒットを生んだ。45年の歩みから見えた「ヒットの極意」とはいかに。
コロナ禍の救世主は趣味で始めた「御朱印シリーズ」
ガイドブック業界はコロナ禍で大きな打撃を受けた。1979年に「ヨーロッパ編」「アメリカ編」を発刊して以来、約120タイトルを世に送り出し、確固たる地位を築いてきた「地球の歩き方」も例外ではない。
「それまで右肩上がりだった売り上げが95%も落ち込みました」。こう振り返るのは2017年から編集部を率いる宮田崇取締役だ。2020年の年明けから新規の企画、海外取材が次々中止となり、先の見通しがまったく立たなくなる。この時、真っ先に考えたのは「長年共に歩んできた外部の制作スタッフをどうしたら救えるか」だったという。
ガイドブックの制作にはライター、カメラマン、校正者などさまざまなスタッフが関わる。刊行中止は彼らの仕事がなくなることを意味した。「全員で乗り切る」。こう宣言して繰り出した初手は、「海外版シリーズ」に続く、お寺や神社めぐりをテーマとした「御朱印シリーズ」の発行だった。
実はこれ、書を趣味としていた宮田さん自身が20代の編集部員時代に「趣味と実益を兼ねて」企画したもの。緊急事態宣言発出で書店の売り上げが激減し、新刊は「出せば赤字」の状況で、全刊行物制作中止のお触れが会社から出た際、海外取材不要で制作費が抑えられるこのシリーズの制作を経営陣に談判。制作陣をすべてこのシリーズに送り込んだ。
「御朱印シリーズ」と並行して、東京五輪の2020年開催を見込んで進めていた、旅の雑学満載の『世界244の国と地域』を7月に発刊する。すると、改訂版の刊行が止まった「地球の歩き方」の新刊を待ちわびる書店と読者に歓迎されてヒット。これが、その後『世界のすごい巨像』『世界の麺図鑑』などタイトルを重ねることになる「旅の図鑑シリーズ」の第1号となった。さらに、同じく東京五輪に合わせ、海外旅行専門のガイドブックの、いわばパロディとして制作を進めていた国内版「東京編」を9月に発売すると、10万部の大ヒットとなる。「東京編」に勢いを得て、国内版はその後も続々タイトルを増やしている。
旅人と真面目に向き合う。この姿勢は変わらない
宮田さんも「想定外」と驚いたコロナ禍のヒット。この状況を生んだ要因の一つは、ファンの「応援買い」だった。「地球の歩き方」は、その45年の歴史の中で、読者対象を個人旅行者から全方位に拡大するなど時代とともに柔軟に変化、編集部に日々読者から届く投稿から読み取ったニーズやトレンドを取り入れてきた。一方、まったく変えることがなかったのが、「言葉ができない旅人も『地球の歩き方』一冊で日本から飛び立たせて帰らせる」という強い信念だ。コロナ禍の応援買いは、旅人に寄り添うこの姿勢への答えなのだ。「先人からずっと真面目に旅人に向き合ってきてよかった。そう思いました」。こう語る宮田さんも一編集部員だった時代から読者ハガキにコツコツと返信をしてきたそうだ。この精神は今も編集部に脈々と受け継がれている。これこそがピンチにもヒットを放つ強さの源だろう。
しかし、ヒットの極意はまた別にある。「それは種を蒔き続けることでしょう」と宮田さんはきっぱり。「コロナ禍では蒔いていた種に助けられました。それ以前も、ガイドブック市場が縮小する中、売り上げを伸ばし続けられたのは、さまざまな手を打っていたからです」。女子旅向けの「aruco」、ライト版の「Plat」といった新シリーズもトレンドを読み取って蒔いた種の一つ。育たなかった企画もたくさんあるというが「蒔かなければ何も始まりません。とりあえずやってみる精神は大切」。需要の増加を見込んで15年ほど前にスタートしたインバウンド事業。訪日旅行者向けの多言語旅行情報サイト「地球の歩き方 GOOD LUCK TRIP」は、インバウンド全盛の今、700万PVを超える人気サイトとなり、「地球の歩き方」に並ぶ柱に成長している。
コロナ禍の間に「地球の歩き方」はダイヤモンド・ビック社から学研グループへ事業譲渡された。この大きな変化も「学研グループになったことで、幼児や小学生といったこれまでリーチできなかった層に旅の楽しさを伝えるチャンスを得た」と捉える。
旅人に寄り添い、仲間と共にピンチを乗り越えてきた「地球の歩き方」。これからどのような種を蒔くのか。ますます目が離せない。
取材・文/佐藤淳子
(2024 7/8/9 Vol. 748)