
メタ・バラッツさん
(アナン株式会社3代目)
インド人の父と日本人の母を持つ私は、1984年に鎌倉で生まれました。父が初めて日本にやってきたのは1958年のこと。漁業関連の視察で訪れた祖父に連れられ、幼少期の4年間を日本で過ごしました。その後、インドで大学を卒業し薬剤師になった父は、かつて身につけた日本語を武器に、高度経済成長に沸く日本で一旗揚げようと決意。20代だった父は、日本で水産物の輸入業を始めます。
記事を読む→インド人の父と日本人の母を持つ私は、1984年に鎌倉で生まれました。父が初めて日本にやってきたのは1958年のこと。漁業関連の視察で訪れた祖父に連れられ、幼少期の4年間を日本で過ごしました。その後、インドで大学を卒業し薬剤師になった父は、かつて身につけた日本語を武器に、高度経済成長に沸く日本で一旗揚げようと決意。20代だった父は、日本で水産物の輸入業を始めます。
記事を読む→『おひとりホテルガイド』(まろ著/朝日新聞出版)
ホテルの楽しみ方は人それぞれ。誰かと一緒に特別な時間を共有するのも楽しいが、日常を離れ、ときにはひとりで過ごしたいこともある。そんなときに手に取りたいのが、『おひとりホテルガイド』だ。
アーカンソー州で生まれ育った僕は、子どもの頃から体を動かすことが大好き。なかでも弟と一緒に始めたアクションスポーツ「トリッキング」に夢中になり、ひねりを入れたバク宙をやってのける僕のことを、友だちは「忍者」と呼んでいました。
記事を読む→私が生まれ育ったのは北米大陸のほぼ真ん中、カナダ・マニトバ州の州都ウィニペグという街です。家族とは英語で話し、幼稚園から高校までフランス語の学校に通い、さらに高校1年からは日本語の授業も受けました。
記事を読む→「日本で一番売れている弁当」といわれる崎陽軒の「シウマイ弁当」。 地元・横浜のソウルフードとしても愛されるこの商品の誕生は、今から70年前に遡る。不変のレシピで作られる主役のシウマイに、変遷を遂げてきた脇役のおかず、そして駅弁屋の矜持たるパッケージ。今も売り上げを伸ばすロングヒットの秘密とは何か。その極意を探る。
記事を読む→大船渡の自然と人に魅せられ、復興を見届けたい一心で移住
パリから車で約1時間、人口8,000人ほどの田舎町ナンジで生まれた私が日本と出合ったきっかけは、6歳のときに通い始めた空手道場でした。空手を通してサムライ、キモノといった日本独自の文化にも興味を持ち始め、日本との交換留学制度のあるビジネススクールを選んで進学。学生時代には念願だった1年間の語学留学を経験しました。