黄綬褒章 業務精励(調理業務)
中田 宏さん
RRH京都オペレーションズ(同)
リーガロイヤルホテル京都 副総料理長
──受章おめでとうございます。どのような思いで吉報を受け止められましたか。
ありがとうございます。大変光栄に思っています。本当に自分がいただいていいのかと思うところもありますが、40年以上、地道に努力してきたことを評価していただけたのかもしれません。これまで指導してくださった先輩方にも感謝しております。
──料理の道を歩まれて四十数年、この道を志したきっかけは何だったのでしょう。
幼い頃は、遊び感覚で調味料を混ぜ合わせて味比べをしていました。醤油と砂糖という同じ組み合わせでも、分量の加減によって味が変わるのが面白くて。少し変わった子供だったかもしれませんね(笑)。叔父が料亭の料理長をしていた影響もあって、学校を卒業後、料理の道に進もうと京都グランドホテル(現・リーガロイヤルホテル京都)に入社しました。
──調理職に就く前に、まずはウェイターとして接客を経験されたとか。新人時代のお話を聞かせてください。
入社してすぐにホテルスタッフの基礎となるマナーやホスピタリティマインドについて研修を受けた後、ウェイター業務に携わりました。後に調理職を担当するようになって気づいたことですが、厨房の中と外では見えるものがまったく違います。ウェイターとして、お客様と直接お話をする経験が積めたことは非常に貴重でしたし、料理を出すスピードなどにも気を配るきっかけとなりました。
入社4年目で調理課に異動しましたが、すぐに包丁を握ることはありませんでした。初めは食材の出庫などの業務に携わっていました。当時は厳しい先輩方のもとで、一度指摘されたことは二度と言われないようにしようと毎日必死でした。そのうちに、包丁の扱い方を教えていただくようになり、レモンを切るといった簡単に思える作業でも、しっかりと基本を押さえる必要があることを学びました。
──フランスの三つ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」で1年間、修業されたご経験もあるそうですね。
34歳の頃に、ホテルから研修生として派遣されました。同じフランス料理ですから調理の方法は基本的に変わりませんが、新鮮な食材や日本では手に入らない乳製品を使うことで、まったく異なる料理に仕上がるということに衝撃を受けました。最も影響を受けたのは、フランス人シェフの料理に対する妥協しない姿勢です。例えば、盛り付けの際にお皿が汚れたら、拭き取るのではなくお皿ごと替える。お肉の焼き方が少しでもシェフの好みと違っていれば、その料理は提供しない、など。これまで私も丁寧に仕事を進めてきた自負がありますが、フランスから帰国してからは、より一層厳格に料理と向き合うようになりました。
──これまでのお仕事で思い出に残っているエピソードをお聞かせください。
シェフとしてレストランを任されることになった初日に、予約されていたお客様から個室の確認のお電話があったのですが、予約台帳に記載がなかったのです。すでに個室が埋まっている状況でしたが、何とかやりくりをしてお客様を迎えました。初めは、お客様は怒っていらっしゃるご様子でしたが、料理が一皿、二皿と運ばれていくうちに、しだいに笑顔になられ、この件以来そのお客様には大変贔屓にしていただくようになりました。誠意をもって料理をご提供したことで、ピンチをチャンスに変えることができたのかもしれません。
──シェフになって良かったと思うのはどんな時でしょうか。
一番喜びを感じるのは、お客様が再び来店してくださった時です。もちろん「おいしかった」という言葉もうれしいですが、たとえ言葉はなくても戻ってきてくださることが、料理に対する何よりの答えなのではないかと思います。
──これまで多くの後進の育成にも力を注いでこられましたが、指導にあたって心がけているのはどんなことでしょうか。
アドバイスや注意をする際は、それぞれの個性を見極めて伝え方を工夫しています。同じように言っても受け止め方はさまざまなので、その人の特性を見て指導することが大切です。
シェフを目指す若い方々には、ぜひ失敗を恐れずに進んでほしいと思います。ピンチをチャンスにするためには、一日一日の努力の積み重ねが重要です。シェフになるという目的に向かって、つい近道をしたくなるかもしれませんが、しっかりと基本を学ばなければ「見せかけの料理」しか作れません。地道な一歩がいつか大きな成果を生み出すと信じて、日々の努力を怠らないでください。
(2024 10/11/12 Vol. 749)