黄綬褒章 業務精励(ホテル業務)
小佐野 英世さん
富士屋ホテル(株)
(元・湯本富士屋ホテル料飲課次長)
──このたびは受章おめでとうございます。どんなお気持ちですか。
知らせを聞いて、もうびっくりしてしまって。家族にもすぐ伝えたのですが、うれしいというより前に、驚きのほうが大きかったですね。これまで一緒に切磋琢磨してきた仲間たちと、先輩方や上司に恵まれたお陰です。富士屋ホテルの創業は1878年(明治11年)、150年近い歴史の中で先達が築き上げてきた伝統に沿って、私は自分にできることを地道にしてきただけ。それが評価されたとすれば、それはホテル全体の栄誉でしょう。
──ご入社は1978年ですね。ホテルで働く道を選ばれたのは何かきっかけがあったのですか。
私は山梨の出身で、河口湖のほとりに建つ富士屋ホテル系列の富士ビューホテルが割と近くにあったものですから、高校そして短大時代を通じてそこでアルバイトをしていたのです。兄がやはりホテルマンだった影響もあるのでしょう。あるとき雑誌で紹介されていた箱根の富士屋ホテル本館を見て、ぜひここで働きたいと思うようになりました。
──長く料飲関係を中心にキャリアを築いてこられましたが、最初は客室のほうを担当されていたのですね。
はい。客室の清掃、整備、管理に始まり、フロント、セールスと、料飲サービスも含めてホテルの業務はひととおり、総務や経理などのバックオフィス業務以外は経験させてもらいました。そうやっていろいろな職務を経験しながら知識や技能を身につけていくと、だんだんとお客様の動きというものが見えるようになってきます。それに応じてタイミングを計り、それぞれの職務の動き方を臨機応変に合わせていく。簡単な例でいえば、食堂にお客様が増えてくる時間に合わせて、館内の清掃を進めておくというように。そんなことを身をもって覚えていきました。
廊下の歩き方一つにしても、お客様の気に障ることのないよう静かに歩きなさいと、厳しく教育される時代でした。ですから自然と、整理整頓や清潔に保つ習慣が身につきました。館内のすべてのものをあるべき姿に保ち、あってはならないものを取り除く。そんな感覚です。
──接客についてはいかがですか。心に残るエピソードがあればお聞かせください。
お子様連れのお客様との接点は特に大切にしようと思って働いていました。小さなお子様がいらっしゃる場合はよく、ご両親のお許しを得て遊んだり、ちょっと面倒を見させていただいたりして。お食事中に泣き出したお子さんを抱っこしてあげる、小学生なら庭園でキャッチボールをする、一緒に沢ガニをとったりしたこともありましたね。その間、お父さんとお母さんは少しゆっくりしていただけるじゃないですか。
うれしいのは、その頃のお子さんが今ではもう立派な大人になって、ご自分のお子様を連れてまた私どものホテルを利用してくださっていることです。私にとっては孫のような存在で、「箱根のじいじ」なんて呼ばれながら遊ばせていただいている。感無量ですね。この仕事を続けてきてよかったと思います。
──料飲事業部門では「食の安全・安心」のレベルアップにご尽力されました。
2000年代に入ってすぐの頃でしょうか、社会を取り巻く「食の安全・安心」に対する意識の高まりとともに、衛生管理マニュアルの整備や仕入れた食材の品質管理の徹底などに力を入れることになりました。食物アレルギーへの対応もその一環ですね。今ではアレルギーだけでなく、お客様の苦手な食材などに関する情報もご予約を受けるときに確認して、料理の献立に生かすようになっています。
──小佐野さんにとって、ホテルで働くことの魅力はどのようなところにありますか。
スタッフ全員がワンチームとなって一つの成果を導き出す、そうした仕事のやり方がいいなと思っています。またそうでなければ、お客様に喜んでいただけるサービスにはならないのではないでしょうか。ホテルという職場には種々さまざまな業務があり、それらが一体となって調和することでホテルという空間を成立させています。ですから、チームワークは何より大切。メンバーの多い料飲部門は特にそうかもしれません。
これからのホテルを担う若い世代にも、そうした仕事の面白さや、お客様との信頼関係を楽しむ経験をしてもらえたらと願っています。仕事ですから辛いことは当然ありますが、失敗から学べることもたくさんあるでしょう。お客様から叱られることもあります。それらを糧にしてコツコツと、いつかお子様連れのお客様から「じいじ、ばあば」と呼ばれるまで居続けてほしいなと思います。
撮影/島崎信一
(2024 10/11/12 Vol. 749)