いつどの地域で地震災害に見舞われるかわからない地震大国・日本。それだけに、能登半島地震を経験した地元ホテルの発生直後とそれ以降の対応は、ぜひ知っておきたいもの。被災者を受け入れ、今なお真摯に寄り添う金沢ニューグランドホテルの取り組みを紹介する。
地震発生、被災した方々の受け入れを即断
北陸の人気観光地・金沢の中心に位置する金沢ニューグランドホテル。兼六園やひがし茶屋街、近江町市場、21世紀美術館、長町武家屋敷跡界隈といった観光スポットへのアクセスの良さから、観光客に人気の老舗ホテルである。
能登半島地震が発生した2024年の元日は、団体の宿泊客に加え、レストランでお正月を祝う地元客も多く、にぎわっていた。
16時10分に最初の地震があり、その後、さらに大きな余震が発生。ホテル内はエレベーターが停止し、騒然とした。
「団体のお客様は外出中で、館内にはレストランをご利用のお客様がいらっしゃいました。スタッフは、地震の状況把握やその場の安全確認など、詳しい事情がわからない中で対応を急ぎました」
チーフコンシェルジュの松村美奈さんはそう振り返る。急きょ、レストランを休業するホテルも多い中、金沢ニューグランドホテルでは、「たとえ遅くなっても、皆様にお食事を」と総支配人の指示で、食事を提供したという。
翌日から観光目的の宿泊予約キャンセルが相次ぐ一方で、復興支援に携わる人々の予約が殺到。その後、石川県や金沢市からの申し入れがあり、介護が必要な方は難しいものの、困っている被災者をできるだけ多く迎えたいという思いから、二次避難所(*)としての被災者受け入れを快諾。1月半ば、被災した人々を迎えた。
*二次避難所:災害発生直後に開設される一次避難所での生活が困難な方のために開設される避難所
「ほとんどが高齢の方で、皆さん、相当なショックやストレスを受けていらっしゃいました。これからどう寄り添っていけばいいのか、手探りの毎日が始まりました」(松村さん)
ともに過ごす時間が生んだ家族のような絆
地震のストレスからよく眠れない、つい失禁してしまう……。困難や苦しみを抱える一人ひとりに寄り添いながら、じっくり話を聞いたり、ときには相談できる病院を一緒に探したり、できる限り手を尽くしてきた同ホテルのスタッフたち。その丁寧な取り組みが功を奏した。
「毎朝、スタッフが9時前後にすべての部屋に連絡をして体調を確認し、その日の食事内容などを伝えていたのですが、いつも電話に出る方と連絡が取れなかったため、お部屋にお伺いしました」
すると、本人は体に力が入らなくて、ベッドから立ち上がれない状態。すぐに救急車を呼んで事なきを得た。こうして二次避難をしている人々に寄り添ううちに、部屋に閉じこもりがちな人々が気になるようになった。
「少しは体を動かしたほうが、体の健康にも気分転換にも役立つかなと思い、週に2回リズム体操を実施しました」
果たして何名集まるかと心配していたものの、およそ半数の人々が参加。回を重ねるうちに、「今度の体操はいつ?」と聞かれることも増え、体操をしている間に参加者同士の交流も生まれたという。
1日3食を提供する食事面では、長期滞在を想定してのメニューを構成。和食、フレンチ、中国料理などで味つけに変化を持たせつつ、なじみ深い家庭料理を取り入れる工夫も施した。
また、公的な被災者支援サービスの申請にも協力。「県や市の窓口がいっぱいあって、どこに相談したらいいかわからない。電話をかけても、たらい回しにされてしまう……」という声に、松村さんたちスタッフが力を合わせて奮闘。「おかげで、無事に申請できたよ」とホテルに帰ってくる人々を「本当によかったですね」と迎えた。
ホテルスタッフが一丸となり、一人ひとりの健康情報や食事の好みなどさまざまな情報を共有する中で、スタッフ自身にも変化が生じてきたという。
「金沢と能登では方言が微妙に違うのですが、あえて能登の言葉で話そうという気遣いをするスタッフも自然に出てきました。高齢の被災者の方々の心を慰めることにもつながったのではないかと思います」
受け入れた被災者は当初、2月いっぱいで退所の予定だったが、その時期は3月、4月と延びていった。一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、今を一生懸命に生きようとする連帯感や絆が生まれていった。
「家族や親族が被災したり、家が半壊したりしたスタッフもいます。私たちは、この8カ月、辛い現実を受け止めて、一緒に過ごしてきました。被災者の方々にできる限り寄り添おうとするのは、行政だから、ホテルだからではなく、心のつながりがあってこそ。もう、ほとんど家族のような感じです」
「ただいま」と帰ってきてもらえる場所へ
現在、金沢ニューグランドホテルのロビーには、1基のお神輿が飾られている。能登では今年元日に起こった地震の前、昨年5月にも最大震度6強の地震を経験している。その二度の地震を耐え抜いたお神輿を「復興の印」として飾ってほしいと、お神輿の所有者であり、家族8人とともにホテルで約5カ月を過ごした新傳博文さん(珠洲市)から声がかかったのだ。震災の記憶の風化を防ぐとともに、多くの人に見てもらうことで震災を伝えていきたいとの想いが込められているという。
「私どもを信用してくださっているからこそのお話で、たいへんうれしく思います。観光で金沢にいらっしゃったゲストにも、興味深く見ていただいています」と、マーケティング部・料飲部部長の中田鉄夫さん。
仮設住宅や介護施設などの入居が決まり、ホテルを出た人もいるが、まだ十数名の被災者がここで暮らしている。
「出ていかれた方が『ただいま』という感覚で遊びに来てくださいます。お互いに近況を報告したり、交流したりする関係性はとても大事です。もともと、ホテルは人と人が交流する場所です。金沢ニューグランドホテルは、これからもそういう場所であり続けたいと思っています」(中田さん)
長年、地元で愛されてきたホテルには、どんなときも人々の心に寄り添うという基本がしっかりと根づいている。それが、災害時に重要な役割を果たしたのだ。
取材・文/ひだいますみ
(2024 7/8/9 Vol. 748)
金沢ニューグランドホテル(公式サイト)
https://www.new-grand.co.jp