黄綬褒章 業務精励(調理業務)
松井 裕嗣さん
(株)阪急阪神ホテルズ
運営管理本部 購買・品質管理部 品質管理
(元・千里阪急ホテル料飲部 調理長)
──おめでとうございます。黄綬褒章を受章されて、今のお気持ちをお聞かせください。
まさに青天の霹靂のような想いです。自分なりに地道に努力を続けてきましたが、今回このような栄誉にあずかれたのは、何より一緒に働いてきた仲間のおかげです。私が代表でいただくことになりましたが、仲間全員でいただいた褒章だと思っています。
──調理師専門学校をご卒業後、現在は阪急阪神ホテルズの直営ホテルである宝塚ホテルに入社されました。ホテルで働くきっかけは何だったのでしょうか。
元々フランス料理に憧れがあって、まずは料理のいろはを勉強しようと調理師専門学校に1年間通いました。その後、フランス料理であればホテルで働きたいと思い、大きなホテルでの就職も考えたのですが、当時は入社しても初めの1、2年間は調理場に入れない時代でした。でも、宝塚ホテルは1年目から調理場で仕事ができると聞き、ここだ、と思いました。実は、宝塚ホテルは実家の最寄り駅から一駅という近さで、親しみを感じていたホテルでした。これも何かのご縁なのでしょうね。
──入社1年目から、調理の現場に入られたのですね。
宴会厨房という部署に配属になり、調理業務全般に関する知識や技術を学びました。入社当初は朝から晩まで洗い物ばかりしていましたね。調理について学ぼうと思うと、どうしても勤務時間の後になります。食材に限りがあるので若手同士で取り合いになることもありましたが、運良く先輩方に可愛がってもらえて、食材を取り置いていただき、包丁の持ち方から舌平目のおろし方、フィレ肉の捌き方など調理の基本を教えてもらいました。
──希望が叶ってフレンチレストランの厨房に入られたのはいつ頃でしょうか。
平成10年、私が40歳になった頃ですね。宝塚ホテルの「プルミエ」というレストランに異動しました。プルミエのシェフになるのが夢だったので、異動が決まって意気揚々とレストランに行ったわけですが、これまで従事していた宴会の料理とレストランの料理はまったく異なるものだと知り、再び一から教えてもらう日々が始まりました。
プルミエで働き始めて1年ほど経った頃でしょうか。先輩の薦めでとあるフランス料理のコンクールに参加したことがあります。私はあまり乗り気ではなかったのですが、予選に通り、準決勝を勝ち抜き、決勝まで進むことができたんです。決勝で3位以内に入賞すればフランスに行くことができたのですが、残念ながら入賞することは叶いませんでした。でも、後から聞いた話では、審査員の方が「惜しかった」とおっしゃっていたそうです。この思いがけない経験を通して、フランス料理への想いが強まり、本格的に勉強しようとエンジンがかかったような気がします。
──プルミエのシェフとして、思い出深い出来事はありますか。
毎週土曜日にいらっしゃるご夫婦がおられました。いつも帰り際に、来週はこれが食べたいとリクエストをされるんです。こんなお料理もできますよ、という提案はするのですが、いつも同じメニューをリクエストされて。何度かそういったやりとりを経て、ある時、すべて「お任せ」になったんです。感慨深いものがありましたね。お料理を召し上がるお二人のお顔を見るのが何よりの喜びでした。お食事が終わった頃にご挨拶に行くと、「なあに? その勝ち誇ったような顔は?」などと言われていましたね(笑)。
──平成15年に宝塚ホテルの料理長、平成22年には千里阪急ホテルの調理長として総指揮にあたってこられました。料理を担うトップとして心がけていたのはどのようなことでしょうか。
やはり、ホテルとして安心・安全な食事をご提供することが第一義だと思っています。おいしさを追求するのはもちろんのこと、事故が起きないようなメニューや段取りを考えることも料理長の重要な仕事です。
料理にはチームワークが求められますので、私はいつも「和」を大切にしています。料理長として「俺についてこい」というタイプではなく、みんなで成長していこうという考えのもと進めてきました。幸い、そういった考え方についてきてくれる仲間に恵まれ、ここまで来ることができたと思っています。
──調理の道に進む方が減っているというお話も聞きます。後進へのメッセージをお願いできますでしょうか。
私が新人だった頃は、業務を終えてから先輩に教えてもらいましたが、今はなかなかそういった働き方が難しいのかもしれません。仕事を早く覚えたい、もっと学びたいと思う若手のなかには焦りを感じる人もいるでしょう。夢を持ってこの道に進もうという若者の熱意が無駄にならないよう、指導する側は、学べる環境をしっかりつくっていくことが大切だと思います。そして若いみなさんは、努力して働くことが必ず血肉になると信じて、研鑽を続けてほしいと願っています。
写真/島崎信一
(2024 4/5/6 Vol. 747)